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      2人組、新手の詐欺〜国警県本部で手配      
昭和28(1953)年4月15日・神奈川新聞
被害者同士がお互いに相手を怨んでとっくみ合いすらはじめるという珍らしいサギが現われ、国警県本部で注意報を出した。
さる10日鎌倉市小町 松屋(注:店名・・・仮名)・熊田安吉さん(35)[仮名]方へ『ヤミ米を買わないか。後で届ける。代金はその時に』と40くらい、一見韓国人風の男が現われ、米一斗の注文をとった。さてその男鎌倉駅裏で30前の男と合流。”よきカモごさんなれ”と探すうち米をかついで降りてきた栃木県河内郡雀庭村 ブローカー 石川隆一さん(34)[仮名]をつかまえ『米がほしい、松屋まで来てほしい』と3人で熊田さん方へ。2人は石川さんをつれて裏口へまわり米をはからせたが”お前の米は高い””良くはかれ”などと延引作戦。
その間にもう一人は表口から”旦那お代を〜”と一斗分1450円を受け取り、ヒットエンドランよろしく2人でドロン
さて計り終えた石川さん、そんなこととは露知らずおもむろに代金を請求すると”連れに払ったよ””私しゃ知らぬ”で押問答。お互いに”太え野郎”といきり立ち警察行きと相成ったが、何のことはない、2人とも被害者と判ってケリ。
この話石川さんの家庭事情を聞いて同情した熊田さん、昼飯を御馳走し、子供のおみやげをもたせ、米代も払ったという人情美談ももりこんで多彩だが、この種のサギは横浜市神奈川区にも数件あり、至急警察へ届けてほしいとのこと。
●バカヤロー!●
まるでコントの台本を見ているような爆笑記事だ。
しかしこの記事は当時の時代背景を知らないと理解ができないかもしれない。
戦後食糧難の時代、米の確保は庶民にとって死活問題だった。
政府が流通させる米には限界があり、そこにどうしても裏で取引される
ヤミ米が存在しなければならなかった。
松屋の熊田さんは
売るためのヤミ米が欲しかったし、石川さんは生活のために手持ちの米を売りたかった・・・そこに2人の男が巧妙に入り込んだというわけだ。
”ヤミ米を買わないか”と熊田さんに近づいた男は鎌倉駅でカモ探し。記事中に『
よきカモごさんなれ』という表現が出てくるが、国語辞典によるとどうやら手ぐすねを引いて『へっへっ。いいカモこっち来い!』という意味らしい。
そこへやって来た石川さんはまんまと引っかかってしまう。
それにしても”
ヒットエンドランよろしく2人でドロン”という表現もすごい。連携がいいということか、さすがは昭和20年代、記事がおもしろすぎる。
ドロン、なんて言うオヤジも今時いないだろう。
一斗(約20キロ)の米が1450円・・・現在の物価は当時の10倍弱だから、かなり高い。
庶民が米を求めて四苦八苦していた当時、国会では吉田茂首相が『
バカヤロー』と発言し、いわゆるバカヤロー解散に。
この事件で2人の被害者がバカヤローと言ったかは知らないけれど、”
太え野郎”とののしり合った挙句に意気投合し、その上、昼飯はおごるわおみやげはあげるわで熊田さん、本当にイイ人だ。
しかし
そんな石川さんも詐欺師だったら・・・なんて考えてしまうのは私だけだろうか。

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2000.9.11