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      安浦の売春宿手入れ〜グレン隊ら5人捕まる      
昭和34(1959)年9月4日・神奈川新聞
横須賀署は3日朝までに同市安浦町、カフェー「ひばり」[仮名]経営者・山田四郎[仮名](34)、同市三春町、無職・中田隆治[仮名](21)、同市富士見町、屋台業・松田金雄[仮名](33)、同市安浦町、リンタク業鈴木三郎[仮名](41)、同市森崎町、無職・古田光夫[仮名](34)の5人を売春防止法違反の疑いで捕まえるとともに、ほか8人を同違反の疑いで身柄住宅のまま調べ、ポン引きも20人追及している。同署は暴力団の残党が介在した売春宿があるというのを聞き込み、内偵を進めていたが、このほど一味を捕まえるに至ったもの。
調べでは山田と中田と相談して、昨年12月23日頃から自分が経営している安浦町・大衆酒場「第二ひばり」の1・2階の4室を5室に区切り、日本人相手の売春婦M子ら9人をさる3日まで通わせ、売春をさせていたもの。売春代は遊び(時間ぎめ)は700円時間切りは1000円、泊まり1500円から2000円くらいでこの金を女4、部屋代3、ポン引き3の割合で分けていた。
同署の調べでは女一人で1日平均2500円ずつ働いていた。3割の部屋代は山田と中田が折半して収益を得ていた。松田と鈴木、古田は山田たちの店へ客を案内していたもので、とくに鈴木は日の出町の一角に売春婦を通わせ、山田とは別に売春宿を経営していたとみられている。山田は4月以降中田と手を切り、引き続き売春宿をやっていたが、だんだん客が寄り付かなくなったという。
中田はたびたび同署に捕まったことのあるグレン隊で、配下のグレン隊に山田の店へ客を引き込むポン引きたちを見張らせていたという。このため山田が中田と手を切ってからは、ポン引きたちが監視の目を恐れ、山田の店へ寄り付かなくなったため店は非常にさびれたという。この間に山田たちが得ていた不当利得は200万円を越えており、一人当たり4-50万円のボロ儲けだった。
中田は身に危険を感じてさる6月7日いらい京浜地区へ逃げていたが、同署の指名手配により、さる31日夜、東京新宿の安宿で捕まった。
●がめつい奴ら〜悪いのは一体だれ?●
売春防止法が成立したのが昭和31年。
それによって娼婦が堂々と売春していた”
赤線”やもぐり売春の”青線”は地下に潜り、女を普通のアパートなどに住まわせて売春させ、業者は離れたところから操る”白線(パイセン)”や暴力売春街の”黒線”、電話の呼び出しで売春するコールガールの”黄線(おうせん)”などの新しい”線”が次々に誕生した、そんな時代だった。
それからいくとこの事件は”白線”がらみのものだろう。
それにしても
ものすごく詳しい記事だ。事件記事の原点か、それとも記者が相当リキを入れたのか・・・。
飲み屋の”
1・2階の4室を5室に区切り”っていうのはよく状況がつかめないが、まあ狭いところで売春させていたんだろう。それに”時間決め”と”時間切り”の意味がよくわからないが、当時の物価からすれば約10倍すれば今の価格になるから、7000円と10000円は安いのか、はてまた高いのか・・・?
しかもご丁寧に金の配分にも詳しい。
さて、ここで注目すべきは複雑にからみあった
闇の人間関係だろう。
首謀者は山田と中田で、この2人が相談して売春宿を開設、松田・鈴木・古田に客をまわさせていたんだろう。
おもしろいのが鈴木で、
リンタク業(自転車の前半分とおぼしきものにドライバーが乗り、後ろに幌のついた客車をつないだもの)を営みながら山田に客をまわし、ちゃっかり自分でも売春宿を経営する・・・。こういう抜け目のないヤツはいつの時代、どこの世界にもいるものだ。
さて、中田は若いながら相当なワルで、事実上この店を仕切っていたに違いない。おそらく金銭トラブルであろう山田との別れの後に”
配下のグレン隊”に見張りをさせて営業妨害をするなんて山田にとってはまさに商売上がったり。
ところがその中田が”
身に危険を感じて”逃げるという状況になってしまうのもすごい。
やりたい放題で悪さをしまくっていた中田に、山田が
闇の世界の力を借りてプレッシャーをかけたとしたらここで一気に形勢逆転だ。
昭和34年といえば、
皇太子が結婚し、5年後の東京オリンピック開催が決まるなど日本が高度経済成長に向けて驀進をはじめた頃
そんな中でも闇の世界は大変だ。世の中にあふれつつある金をめぐって力と力のせめぎ合いが続いていたこの事件で勝ったのは一体だれ?
山田も中田も、
やっぱり”闇”には勝てなかった、ということなんだろう。

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2000.8.5