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      モテています明治ムード〜見学者ウナギのぼり    
昭和46(1971)年5月13日・神奈川新聞
日本海海戦の旗艦として知られる横須賀市稲岡町の記念艦「三笠」に最近ぐんと見学者がふえている。老人クラブなどお年寄り層をはじめ旧軍人のほか、修学旅行の小学生、若いアベックもふえて日曜日など艦橋は鈴なり。4月初旬から10回以上も大入り袋が職員に配られたほどのにぎわいぶり。「どういうわけかー」と経営に当たる三笠保存会側ではこの現象に首をひねっている。

記念艦「三笠」は明治38年5月の日本海海戦当時、東郷元帥ひきいる連合艦隊の旗艦として活躍したあと、同年9月に佐世保で爆発事故を起こして退役、大正15年11月に横須賀港の一角である現在地に記念艦として移され今日に至っている。戦後、マストや砲身を取られたり、艦内がキャバレーになるなど苦難の時代を経て、関係者の力で昔の姿に復元され、現在は「敵艦見ゆ」を発信した無線機や東郷元帥の遺品など当時の資料が残されている。

見学者もこれまで日に平均600人内外と客を集めていたが歴史の遺物として若い人たちからソッポを向かれ、万博のあった45年度の入場者数は20万7千人と44年度を約3万人も下回り保存会の職員たちを残念がらせていた。
ところが、この4月から同艦を訪れる人がぐんぐんふえ、4月初めからこの5月10日までに3万5千人と去年同期を2割も上回るにぎやかさ。そのうえ、これまでの老人連中から「日露戦争ってなーに」という若いアベックや、一般の家族連れもふえはじめた。おとな150円の入場料を払った見学者たちは30分ものの”日本海海戦”映画や海戦のパノラマ、各種の資料を見て回るが、古い水兵服の陳列や係員の勝ちいくさ説明に「カッコいい」を連発して帰るという。
●みかさって、なーに?●
記念艦三笠が生まれたのが20世紀初頭の1902年。日本海海戦で大勝利を遂げた後は爆発事故で爆沈したり廃棄されたりダンスホールになったり主砲を売り飛ばされたりもう散々だった。
生きているからまだいいものの
人間だったらそれはそれは流転の人生だ。
それが1961年に新たに記念艦として復活してからは一転して落ち着いた生活を続けている、この船。
別の記事にはこんなちょっとしたブームも書かれている。
記念艦三笠に人気再来〜猿島はサル景気でホクホク
〔昭和29(1954)年8月2日神奈川新聞〕
横須賀白浜海岸の記念艦"三笠"は、海上自衛隊などの発足によって、このところすっかり人気をとりもどし、連日各地から見学に繰り出してくる学童たちの団体客でにぎわっているが、さらにさる8日対岸の猿島に十頭放した台湾産の尾長ザルが人気を呼び、三笠園前から出る2隻の連絡船は連日満員の盛況である。
サル見物ついでに三笠へ、なんて平和ですごくいい。それにしてもあそこは白浜海岸という場所だったんだ。
当時はこんなところから乗った
三笠公園は今や横須賀を代表するスポットだ。水際までたっぷりと土地を使って、のどかな海の憩いの場になっている。
その片隅にりりしくたたずむ記念艦三笠・・・これが日常ののどかな、
横須賀の平和な風景の1コマだ。
これに何かあったらそれこそ大変だ。
今度の敵は一体なんだ?でも大丈夫。目の前のミスター・トウゴウが守ってくれるはずだ。
え?トウゴウってなーに?・・・三笠に行けば、全てがわかる。
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現在の三笠は《平和な国のさまよえる大砲〜記念艦三笠》へ

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2001.8.13