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      ★三浦半島・20世紀の事件簿スペシャル!★
三浦半島ドロボー図鑑〜こんなものも盗まれた!
     
ドロボー、それは世相を映すB級犯罪。
あの手この手で盗みを働き、手に入れる品の数々。
中には「何でこんなものを?」なんて思うものもあるけれど、
そこから、激動の時代の素顔が見えてくる。
そんな、ちょっとマヌケなドロボーたちを集めてみた。

三浦半島のドロボー厳選13件
【その1】ジョン・バク災難 【その2】”ポンタック”って、何だ!?
【その3】マグロ船にゾク 【その4】ラジオ20万円
【その5】ニワトリ盗まれる 【その6】”味の精”で完全犯罪
【その7】美人秘書宅、パンとコーラで撃沈 【その8】バーテン災難
【その9】80メートル電線切断! 【その10】”女給”の下心
【その11】15歳、前科6犯! 【その12】賊、八幡宮を荒らす
【その13】どっちが大事!?

米兵が奪わる 賀市で自動車運転手らに〜1953(昭和28)年4月15日・神奈川新聞
14日午前1時ごろ横須賀市武山部隊米2等兵ジョン・バク氏は、市内本町のEMクラブ前から乗ったタクシーで、市内衣笠町衣笠トンネルと金子トンネル間の路上に来た際、運転手と助手席にいた男の3名に車から降ろされ、ナイフをつきつけられて日本円3000円と米軍票7ドル43セントを強奪されたと横須賀署に届け出た。
この頃の新聞は横須賀市のことを”賀市”とぞんざいに略していた。
そんな賀市で『
米兵、奪わる』なんて、誘拐事件かと思えばタクシー強盗だ。
しかもこのタクシー、”運転手と助手席にいた男の3名”・・・。
助手席には2名乗っていたのか?
うーん、この頃の車はそんなのもあったんだろう。
それにしてもジョン・バク、おいおい、怪しいって気づけよな〜。
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乗用車盗む〜1954(昭和29)年8月2日・神奈川新聞
1日午前1時半ごろ横須賀市谷戸・浦賀ドック造船所長 長井福蔵氏(51)専用の乗用車50年型ボンタックが三春町3-16路上で盗まれたが、横須賀署員がまもなく逸見トンネル入口で盗難自動車を捕え、のっていた2名を逮捕した。
調べでは公郷町・運転手 山田進(23)と大津の少年(19)で、盗んだことを自供した。
ポンティアック
お次は定番の乗用車。浦賀ドック所長が乗っていた50年型ポンタックって、いくら検索しても出てこない。咳止め?どこの車?ポンタックっていうワインはあるみたい。
・・・と思っていたら、どうやら
ポンティアックのことだと判明。アメリカ車ですな。
探したら、あったあった。たぶんこんな感じ(→)。
これは欲しくなる。
スキあらば、なんて少年たちが考えるのもわからないではない。当時はさぞかし目立ったことだろう。
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マグロ船に賊〜1955(昭和30)年1月8日・神奈川新聞
6日朝6時ごろ、三浦市三崎町西野地先岸壁に停泊中の同港所属マグロ船妙見丸のマンホールのフタ3個(時価5万円)が盗まれたと同船主池野三郎さんから三崎署へ届出があった。
マグロ船に賊(ゾク)』っていうタイトルが妙におかしいこの記事。
盗まれたものが
マンホールのフタというのもかなり笑える。そもそも船にマンホールなんてあったんだ。
でも時価5万円か〜。
昭和30年の大卒初任給が1万円くらいだから、単純に100万円くらいの価値があったことになる(”時価”っていうところがなんかリアル)。
そこに目をつけたなど、なかなか。
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ラジオを盗まれる〜1959(昭和34)年9月4日・神奈川新聞
横須賀市日の出町 塗装工、武藤義男さん(19)は、2日午後5時ごろ自宅においたトランジスタ・ラジオ(約1万円)を盗まれたと同夜横須賀署に届けた。 トランジスタラジオ
さあいよいよ怒涛の昭和34年に突入。なぜかこの年はドロボーの記事が多い。
この年は
伊勢湾台風が来て、皇太子が結婚し、そして60年安保前夜。しかも岩戸景気のさなかで、池田内閣は所得倍増を唱えた。こんな混沌とした中では犯罪が増えるんだろうか?
さて、今回盗まれたトランジスタ・ラジオは今の
20万円くらいの価値。昭和30年に日本で初めてソニーから発売されたばかりだから、右上の画像みたいなヤツでもまだまだ高嶺の花
今で言うと・・・中くらいの液晶テレビが盗まれた感覚か(笑)?
でもそう笑ってはいられない。
19歳の青年が給料をはたいて買ったトランジスタ・ラジオが、午後5時の真っ昼間に盗まれるなんて、さぞかし無念だったろう。
大事なものの置き場所も考えなければ。武藤さん、この後ラジオをどこに隠していたんだろう。
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ニワトリ盗まれる〜1959(昭和34)年9月15日・神奈川新聞
横須賀市平作町 工員、滝口一郎さん(28)方の庭先のニワトリ小屋で13日までにニワトリ8羽(約2400円)を盗まれたと同夜横須賀署に届けた。
と思ったら今度はニワトリ。滝口さんが丹念に育ててきたニワトリがあっという間に盗まれるなんてもう憤慨もいいところだろう。
さあて、
今夜のおかずに・・・なんて思っていたかもしれないし。
犯人はもちろん食用で盗んだんだろう。
食い物の恨みは恐ろしい。犯人が食べたニワトリの味が気になる。
それにしても当時の新聞は
『○○署に届けた』というだけでちゃんと記事になる
今、それだけで記事にしたら新聞が何十ページあっても足りないだろう。
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『味の精』専門に盗む〜1959(昭和34)年9月18日・神奈川新聞
横須賀署は17日昼ごろ東京都三宅島生まれ、住所不定無職、元店員、森田三男(24)を盗みの疑いで捕まえた。
調べによると森田はさる16日朝6時ごろ横須賀市大滝町 食料品商、佐藤英男さん(29)宅に忍び込み、店先にあった「味の精」1キロ入り3袋(約4500円)を盗んだほか、2ヶ月間に5回にわたり、調味料「味の精」など計3万円相当を盗み、飲食店に売り小遣いにあてていた疑い。
森田はさる7月ごろ佐藤さん方へ店員となって勤めたが、素行が悪いため先月クビになった
手口も巧妙で、店の雨戸のうち1枚が簡単に外せることを知っていて、同人は完全犯罪をねらったと自供した。今度つかまるまで盗みの前科5犯を重ねていた。
日東味の精の看板
日東味の精』を知っている人はかなりのマニアだ。ヤマサ醤油が作っている化学調味料味の素のようなものだ。でも見たことはない。
今の価値にして1キロ30000円だから、これは当時はけっこう高かったんだろう。お店では重宝するだろうから、それを狙った犯人、目の付け所はいい。
しかしこの森田、
”完全犯罪”を狙った割にはあっさり捕まっている
雨戸が外せることを知っていたり日東味の精を盗んだり、
内部事情に詳しい人の犯行なんて素人でもわかる。
しかも
佐藤さんのところに働いていてクビになった彼
他の店でやれば完全犯罪ができたかもしれない。
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別荘からパン盗む〜1959(昭和34)年10月6日・神奈川新聞
横須賀署は5日大分県生まれ、住所不定、無職、斉藤信吾(27)を盗みの疑いで身柄送検した。
調べでは斉藤は、さる3日夜8時ごろ横須賀市秋谷・アメリカ大使館勤務秘書、マーガレット・キン(25)の別荘の窓ガラスを割って屋内に入り、パンとコカ・コーラ(計300円)を盗み、飲み食いしてそのまま眠ったところ、巡回にきた管理人に捕まり同署につき出されたもの。
同人はさる8月上旬故郷の大分市を家出、ほとんど歩き通しで来賀空腹にたえ切れず盗みを働いたと自供。
発売当初のコカコーラ
”マーガレット・キン(25)”という表現が金髪美人秘書をほうふつとさせるこの記事。
日本でコカ・コーラが発売されたのはこの2年前の
昭和32年。当時は50円くらいだった。今のような缶が発売されるのは昭和30年代の後半だから、その頃は全部右上画像のようなビン
ところでこの斉藤、今回アップした
全ドロボーの中で一番悲惨
大分の家を出てから2ヶ月歩いて横須賀に来て、秋谷の別荘でパンを食べ、コークを飲んで撃沈
あまりのおいしさに昇天してしまったのか、それともただ単に腹がふくれて寝てしまったのか?
いずれにしてもこの後彼はコーラを見るのも嫌だったかもしれない。
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背広ドロ〜1959(昭和34)年10月6日・神奈川新聞
横須賀署は4日夜、同市坂本町 工員、瀬川不二男(22)を盗みの疑いで捕まえた。調べでは瀬川はさる8月25日夜9時ごろ同市本町 バーテン、伊藤実さん(24)方から背広上下7点(計2万7千円)を盗んだほか、伊藤さんからほかに背広上下(計2万円)を盗んだ疑い。
昭和30年に松坂屋で背広が8800円だったという記録があるから、この時は1万円ちょっとでそこそこのものが買えただろう。
初任給が同じくらいだったから、当時、いかに
背広が高かったかがわかる。
被害にあったバーテンの背広は松坂屋ほどの高級品でなかったにしろ、
これを盗んでちょっと良く見せれば十分金もうけができたわけだ。
しかも
横須賀のバーテンが着ている背広。今の黒服のようなものだから、相当高く売れたのではないか?伊藤さんの職業を知っている者の犯行かもしれない。
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2人組の少年 電灯線を盗む〜1959(昭和34)年10月7日・神奈川新聞
横須賀市大矢部町三崎街道金子トンネル上で、6日朝10時半ごろ電灯線を切断しようとしている少年ふたりを通りかかったパトカーがみつけ捕えた。
調べによると同市小矢部町A(14)と同衣笠町B(16)で、約80メートルを切断して盗もうとしていたところだった。
ふたりはさる2月ごろ市内で電灯線を切断して盗み、味をしめ、つかまるまで10件約10万円相当を盗んでいた。盗品は売って映画代などに使っていた。
パルス試験器!
これは当時を象徴する記事。
電線を盗んでどうすんだよ、と思うけれど、その中に入っている
銅を売るということらしい。
昭和25年に始まった朝鮮戦争以来、金物、特に
銅が飛ぶように売れたということだから、大人から子供まであっちこっちでこんな事件が起こっていた
それにしても
80メートルの電線を切断してしまうなんてちょっと考えられない。
感電するヤツもいたんじゃないだろうか?
でもそんな危険をおかしてでも
1件あたり20万円くらいの収入。これに”味をしめ”っていうのもうなずける。
同様に当時は
電話線泥棒も頻発。そのために、右上のようなパルス試験器が開発され、裸電線の保守をしていたらしい。これによってかなりの数の泥棒がつかまったという噂。
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介抱ドロの女給捕まる〜1959(昭和34)年10月9日・神奈川新聞
横須賀署は7日夜、同市西逸見町 女給、沼田貴美子(23)を盗みの疑いで捕まえた。
調べでは、沼田はさる1日夜海上自衛隊横須賀地方隊勤務、蔵野学一海曹(23)が同市若松町の諏訪神社内に酔って寝ていたのを介抱するふりをして、自宅へつれこみ、腕時計1個(7千円相当)と現金700円を盗んだ疑い。
女給”という言い方が何とも古いが、要するにホステスという意味。
しかもこの沼田と被害者の蔵野さんは
同い年というのがミソかもしれない。
諏訪神社でたまたま会ったのではなく、
沼田の店で意気投合し、ガンガン飲ませた可能性大。
まんまと引っかかった蔵野さんは今の価値で15万円以上の腕時計をしていたけれど、それも飲ませているときに
しっかり沼田の目にとまっていただろう。
しかし単純に、諏訪神社で時計とサイフをとってしまえばよかったのでは?
・・・いやいや、ひょっとして
腕時計よりも蔵野さんが目当てだったりして。
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少年のあき巣ドロつかまる〜1965(昭和40)年7月11日・神奈川新聞
田浦署は10日、白昼留守宅を専門に荒らし回っていた住所不定、無職、少年(15)を盗みの疑いで送検した。
調べでは少年はさる4月17日正午ごろ横須賀市追浜本町 会社員、木田良夫さん方の台所の窓を破って侵入、現金900円、トランジスタラジオなど約5000円を盗んだのをはじめ、つかまるまでに27件、37万円に上るあき巣を働いた。
5月から6月にかけて追浜本町地区で9件のあき巣が発生、同じ手口のところから同一人のしわざとわかった。
このため同署がパトロールを強化、6月30日午前10時15分ごろ同町 公務員、矢内喜一さん(44)方の勝手口の窓ガラスが割られ、室内を物色中の少年を発見、逃走しようとしたところをつかまえた。
少年は13歳ごろから盗みを覚え、盗みで6回も金沢署、田浦署に補導された。
バーホステス(16)の愛人がおり夫婦気取りでキャバレーやバーに入りびたっていた
こいつは筋金入りのワルだ。
13歳から盗みを覚え、なんていくらなんでも早すぎる。
最初は
電線ドロでもしていたんだろうか。
この記事が15歳の時だから、
たった2年で6回の補導。なかなかすごい。
しかも
バーホステスの愛人(16)とキャバレー遊びなんて、大人になってからやることなくなっちゃうんじゃないか?と思うくらい遊びまくり。
今生きていれば
50歳をちょっとすぎた頃
究極の遊び人になっているんだろうか?すごく会いたい。
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鶴岡八幡宮の売店に賊〜1965(昭和40)年8月25日・神奈川新聞
鎌倉の鶴岡八幡宮休憩所売店に、24日夜から25日朝5時までの間にが入り、売店内を荒らしたうえロッカーから現金3000円を盗んだ。
賊はお札授与所の窓を破ってはいり、本殿前のお札授与所に運動ぐつの足跡があったところから、犯人は少年のしわざとみて鎌倉署で捜査している。
少年犯罪はいつの時代でもたくさん。
この鶴岡八幡宮の記事からは苦々しい感じが伝わってくる。
しかしそれは憎い、というよりも、
目を離したすきにネコに魚を食べられてしまった、系のほのぼのとした雰囲気だ。
『賊』め、覚えておれ〜。
ルパンを追いかける銭形警部のような、どこかコメディータッチの記事で、ある意味すがすがしい感じがするのは僕だけだろうか。
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ニシキゴイ盗まれる〜1971(昭和46)年6月5日・神奈川新聞
横須賀市林・会社員 浜信之さん(31)は4日、庭の池に飼っていた錦ゴイ4匹と水揚げポンプなど6万4千円相当が盗まれた、と横須賀署に届けた。
調べでは、同日午前1時25分ごろ、浜さんが外の物音で雨戸を開けてみたところ、黒っぽい男が水揚げポンプをかついで逃げたという。
浜さんは先月越してきたばかりで、趣味で30匹の錦ゴイを約4平方メートルの池で飼っていたもので、庭にはサクはしていなかった。水揚げポンプは水の浄化用に使っていた。
ニシキゴイといえば田中角栄(笑)。
着物を着て自宅の日本庭園に出て、ヨッシャヨッシャと言いながら
大きな池のコイに豪快にエサをやる・・・。
そんな姿は
和風邸宅の象徴だ。
ニシキゴイはその模様が美しければ美しいほど高値で取引され、
一匹数十万ということもあるらしい。
しかし今はニシキゴイを飼う庭が少なくなってきてしまい、首都圏ではあんまり聞いたことがない。
浜さんは何と30匹を飼っていたんだから、
相当な資産家またはマニアだったんだろう。
が、この記事を読むと、
ニシキゴイよりも水揚げポンプの方が大事だったみたいな感じに見えるから笑える。
最新の水揚げポンプがありましてね、黒っぽい男が持ってったんですよ。高くてね。浄化用に使ってたんですけどね・・・なんて警察に説明している浜さんが思い浮かぶ。
しかも
4平方メートルの池に30匹のニシキゴイだから、密度高すぎ。
このコイ、小さかったのかもしれない。
小さなニシキゴイたちが
水揚げポンプを自慢するための飾りだったとしたら、浜さん、相当なマニアだ。
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●文中の記事はそのまま載せましたが、人名は全て仮名にしてあります。

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2002.10.28