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| ●アクセス80000突破記念ミニ企画● 横須賀駅歴史散歩シリーズ そして一つになるレール〜横須賀トンネル |
| JR横須賀駅 | [地図] |
| 1931(昭和6)年の満州事変から戦時色が強くなっていった日本。 その中で陸海軍の重要施設がたくさんあった横須賀はいやがおうにも軍と運命をともにしていくことになる。 この頃になると三浦半島南部にも海軍の施設が点在し、横須賀線を久里浜まで延長する必要にせまられるのだ。 1940(昭和15)年に測量に入ったが、計画は難航した。 |
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| 横須賀から進路を南に取ると、どうしても既存の湘南電鉄(現京急)が東に走るのをまたぐかくぐるかしなくてはならないのだ。 取るべき道は3つ。
軍主導だからできるこの大規模な公共事業・・・。検討に検討を重ねた上に採ったのは3番目の案だった。 こうして、1941(昭和16年)の8月、ついに工事ははじまった。 この工事について、『横須賀市史』(昭和63年横須賀市)にはこうある。 |
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| 横須賀駅から下り勾配をとるため、汐入の最低部でも平均潮位より1.5メートルの標高となり、満潮水位とほぼ等高という結果になった。そのためトンネル内に湧き出る地下水はすべてこの最低部にあつまり、排水設備を必要としたので、汐入町5丁目に揚水ポンプ室を設け、地表に排水することにした。(中略)このため、延長距離は2089メートルとなり、当時関東第2位(全国第16位)の長さのトンネルとして評判になった。 戦局が厳しくなり、(中略)手掘りで同時に数箇所から掘り進んだ。このため、同時にズリ出しをするので、貨車での土砂運搬は不可能となり、トラックで安浦海岸へ運んで捨てられた。 作業は産業報国隊の労務者が当たり、末期には海軍の兵員も協力した。また、資材の調達は困難を極め、軌条は御殿場線の片線を撤去して使用するというありさまだった。 〔文中太字は筆者〕 |
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| そこまでするか、という必死かつ悲惨な状態が伝わってくる。 産業報国隊とは早い話が強制動員で、当然戦局が悪化するにつれて中高生や外国人も携わったはずだ。 それに”レールは御殿場線の片線を撤去して使用”なんてかなり泣かせる。 そんな、時代だったのだ。 |
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| ついに単線が開通したのが1944(昭和19)年4月1日。 翌1945年には複線で開通させる予定だったのだが、終戦によってその計画は全てなしに・・・。 横須賀駅とともに時代に翻弄された横須賀トンネル。 ここにもまた、歴史の生き証人がひっそりと横たわっている。 |
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| 2000.5.29 |