| 三浦半島の東海岸、東京湾をぼーっと眺めていると本当にたくさんの船を見ることができる。とりわけ軍艦はよく通る。横須賀港には自衛艦が停泊しているし、アメリカ海軍の戦艦も潜水艦もたくさんあるし、浦賀の港では自衛隊の護衛艦が修理をしていたりする。全国の中でもこんなに灰色の船を見慣れている市民はいないのでは?と思うほど横須賀市民にとって軍艦があることはほぼ日常の風景の1コマと言っても過言ではないくらいだ。 |
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そんな中でもここ、記念艦三笠は現存する旧日本軍の唯一の戦艦。小さい頃からおなじみのこの船に、久々に乗ってみることにした。
三笠は日露戦争の日本海海戦(1905年)で東郷平八郎率いる連合艦隊の旗艦だった戦艦だ。"本日天気晴朗なれども波高し"の暗号で始まったこの海戦で東郷は奇跡と言われた〔丁字戦法〕(いわゆるトウゴウ・ターン)によりロシアのバルチック艦隊に完勝、彼はこれによって世界に名をとどろかせ、そして神になったのである。 |
おとなり、アメリカ海軍横須賀基地を母港とする空母”キティホーク”の排水量は約81000トン。排水量15000トン余り、全長132mの三笠はこれに比べたら赤ちゃんみたいなものだ。しかし乗ってみるとデーンと重みがあって大きい気がする。
上に上がるとアメリカ軍の現役空母に乗ったときに漂っていたような、軍艦特有の油臭いにおいも、ずんずんと腹に響くモーター音もない。それはそのはず、動かないのだから。それでも上の画像のとおり、停泊していて今にも出航しそうな雰囲気なのはさすがは戦艦だ。 |
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右上の画像は艦内各所にある被弾の跡。激しい戦闘のキズだ。
船は3重構造(上甲板・中甲板・下甲板)になっているが、下甲板は土砂で埋まっているらしく、見学できるのは2層だ。上甲板では船首・艦橋・後甲板まで自由に見学でき、中甲板は数多くの展示品と昔の東郷平八郎らの居室、そして三船敏郎バージョンの映画『日本海海戦』のダイジェスト版上映のための講堂などと充実していて、マニアならずともなかなか楽しめるつくりだ。上から下まで、こういう歴史的建造物にありがちなどうでもいい展示がほとんどなく、どの年齢でも満足できる。 |
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三笠の入り口 |
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上甲板上部 |

上甲板後部 |

狙うは子供たち?! |

ビデオで三笠の
お勉強 |

自由に動かせる
副砲 |

上甲板 |

動かない主砲 |

東郷元帥の見た目! |

大迫力の主砲 |

貴重な艦船プラモ
ずらり |

戦艦につける艦首飾 |

三笠の1/100模型 |

将校のバスルーム |

東郷元帥のベッド |

こんなところまで弾が |

食堂。ここにも弾が |

マストは56m! |

後からみた三笠 |

知将、トウゴウ! |
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さて、今でこそ平和な街にこうやってたたずんでいる三笠だが、これほど数奇な運命をたどった船はないかもしれない。
イギリスのビッカーズ社に88万ポンドで発注したこの戦艦は、日本海海戦の手柄ばかりが注目されているが、実は一度沈んでいるのだ。日本海海戦からわずか3ヵ月後、佐世保で後部火薬庫が大爆発して339名の殉職者を出している。翌年なんとか引き上げて復帰するが、今度はワシントン会議の廃棄艦リストに載ってしまったと思ったら関東大震災が追い討ち、除籍となる。 |
しかしそこは伝説の三笠。横須賀保存はあっさり決まった。大正15(1926)年にようやくここに腰を落ち着け、旧軍人たちや当時の子供たちは必ずといっていいほど見学をし、東郷元帥を崇めた。
ところが日本海軍の運命を決めてしまったのもこの三笠、そして神、トウゴウだった。
海軍のパワーを戦艦に求めてしまった東郷。神である彼の巨艦至上主義は海軍の考えとなり、時計の針を止めてしまった。
やがて航空重視の世界の動きを予測できずに日露戦争の亡霊を引きずりながら太平洋戦争に突入していくのだ。 |
そして敗戦。
とたんに三笠は荒廃への道を歩みはじめる。貴重品が勝手に持ち出されたりダンスホールになったり水族館ができたり主砲が鉄クズとして売られたり、もう散々だ。
今のような形に落ち着いたのは昭和36(1961)年のこと。
今は塗装もきれいで中も傷みがなく、本当にきれいに保存してある。今にも動きそうな感じだ。 |
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これが戦争美化の象徴だと言う人もいるだろう。
でも、この巨体の数奇な運命を考えると『今、こうやってここにあること』自体が平和の証になるのかもしれない。三笠公園の噴水にたたずむ東郷平八郎だって、もう二度と火を噴かないこの三笠の大砲を背中にして、自慢げに平和な街を見下ろしているに違いない。 |