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ペリーはやっぱり怖かった〜ペリー公園

横須賀市久里浜
JR久里浜駅・京急線京急久里浜駅からバス10分
『ペリー公園』下車
[地図]
●ペリー記念館情報●
9:00-16:30 〔毎週月曜休館〕
※2001年8月中は休みなし
●付近に駐車場はありません●

ペリーがアメリカ艦隊を率いて浦賀にやってきて開国を迫ったのが1853年のこと。
それから約50年たった1901(明治34)年の7月14日、この記念碑は除幕式を迎えた。
碑を建てることを提案したのが当時ペリー艦隊の少将であったベアズリー氏だった。彼は明治33年、まだ何にもない漁村だった久里浜を訪れ、ペリー上陸の記念物が何ひとつないことを悲観し、各界に猛烈に働きかけて建立を実現させたという。要するに日本側としては碑を建てるまでのことはないと思っていたわけで、当時まだ不平等条約下で頭の上がらないアメリカに言われて慌てて建てたのだろう。そんな日米の微妙な温度差がこの碑をその後、歴史の渦の中に巻き込んでいく。
ペリー艦隊
ペリー提督 それにしても教科書に出てくるペリーの顔は怖い。当時の人々が恐れおののいて伝聞推定でデフォルメされていったのがよく分かる。左は敷地内にあるペリー記念館の外にある銅像だが、これを見てもやっぱり怖い。上の画像は記念館にあるサスケハナ号をはじめとするペリー艦隊の模型だが、これが来るだけでも”太平の眠り”が醒めるのに、ましてやこんなおっさんがズカズカ開国を要求するんだから、当時の浦賀奉行はさぞかし大変だったろう。
碑には〔北米合衆国水師提伯理上陸記念碑〕という文字が。書いたのはあの伊藤博文というからすごい。
とにもかくにも建った碑だが、44年後、とんでもない事件に巻き込まれてしまう。
1945(昭和20)年の2月、折りしも太平洋戦争末期に、この碑が矢面に立ってしまう。
昭和21年4月22日の神奈川新聞はこう記している。
大東亜戦争が始まると、記念碑は漸く国民の眼から冷たく見られる様になった。戦勢は日々に悪化していった。軍は国民の敵がい心をあおるための宣伝資料を探すのに躍起となった。そこで眼についたのがこの記念碑であった。そしてこんな風にいった。『ワシントンの桜は全部きり倒された。それだのにぺルリの記念碑をそのままにしている。地元翼壮は何をしているのか』と。
ペリー上陸記念碑
ペリー公園前の砂浜 哀れ記念碑、あと半年見つからなければ倒されることはなかったのに・・・。まるで時効直前に逮捕された犯人だ。さぞかし無念だったに違いない。しかも戦後、ワシントンの桜の話はデマだったとわかる。
かくして倒された記念碑の跡には、国家主義者徳富蘇峰の『護国精神振起之碑』というヒノキの木標が建てられてしまった。
そしてあっという間に終戦を迎える。
黒船・ペリー・伊藤博文・日本軍・徳富蘇峰と玄関マットのようにどかどかと時代の波が押し寄せたこの地には、今は最初の記念碑が夏の日差しを映して地面に日時計のような陰を作っている。
除幕式が行われた7月14日は、毎年ここで盛大な花火大会が行われ、これが三浦半島の夏のスタートを告げる合図だ。
目の前にある砂浜から見えるのは黒船ではなく、白いフェリー。こんな平和な浜にヘンなものが上陸してこないように、ペリーの銅像は今日もにらみを効かせている。

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2001.7.9