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      父の灯台・母の灯台〜城ヶ島・観音崎      
観音崎灯台 城ヶ島灯台
観音崎灯台
[地図]
城ヶ島灯台
[地図]
設置 1868(明治元年) 1678(延宝6)年
高さ 15m(地上〜灯火)
56m(水面〜灯火)
11.5m(地上〜灯火)
29.4m(水面〜灯火)
光度 140000カンデラ 600000カンデラ
点灯 13秒で2閃光 15秒で1閃光
●関連ページ●
青・白・緑のあそぶ場所〜観音崎ウォーク
ナナメイワの上、カモメ大乱舞〜城ケ島ウォーク

首都である江戸、そして東京を控えた東京湾は1日の船舶通行数が群を抜いて多い。
その船の航行をナビゲートする2つの灯台は、同時に日本が近代化していく過程での重要な役割を演じてきた。
城ヶ島灯台、その歴史は古く、17世紀後半からすでにかがり火が灯っていた。浦賀の燈明堂と同じく、江戸湾に入る船にかすかな火を投げかけていたのだ。
それが一変したのが明治維新
欧米との条約で、三崎と観音崎に洋式灯台を建設することになったのである。そしてこの建設に携わったのがフランス人、ウェルニー。
かくして明治2年に観音崎が、翌明治3年には城ヶ島灯台が、それぞれ日本初と2番目の洋式灯台として誕生するわけである。
それ以来現在まで東京湾を照らしてきたこの2つの灯台だが、それぞれ関東大震災で倒壊してしまう。
特に観音崎灯台は1922年4月の地震で倒れて翌年の3月に2代目が完成するのだが、その5ヶ月後の関東大震災でまたもや倒壊、現在のものは3代目である。

観音崎灯台は最上部まで登ることができ、行き交う無数の船の向こうに房総半島もくっきりと見える絶景が目の前に広がる。
一方城ヶ島灯台は中には入ることができないが、周りはオープンスペースで、こちらは広い広い太平洋の大海原が見渡せる。

ずんぐりした城ヶ島灯台とすらっとした観音崎灯台。
広い太平洋を照らす雄大さと東京湾の船を仕切る繊細さ・・・。
”父”の灯台と”母”の灯台は今も健在。
対照的なこの2つの灯台をめぐるのも、三浦半島の魅力の1つかもしれない。

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1999.4.26