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 三浦半島へ行こう!三浦半島知れば知るほどBEST!>01海に向かって延びる道
三浦半島知れば知るほどBEST!
 ●01 海に向かって延びる道 << 三浦市・三戸 
 それにしても長い道だ。一体、どれくらいあるんだろう。
「1600メートル。正確だよ」。すぐ近くで畑作業をしていた方に声をかけると、即座に答えてくれた。「若い時分、よくここでマラソンをしたからな。距離はよく覚えているよ」。
 京急三崎口駅からほど近い場所に、海へとまっすぐに延びる道がある。
 国道134号に直角につながる、幅4メートルほどの一直線の道。その先には、はるか遠くに富士山、そして江ノ島が浮かぶ相模湾を望むことができ、道の左右には見渡す限り畑が広がっている。
 この直線道路は、昔、海軍の滑走路だったという。なるほど、なおさら一直線で長くなければならないわけだ。実戦使用にはほど遠かったようだが、戦後になって海軍省から大蔵省に移管され、ほどなく農地として払い下げられたのだという。
 50ヘクタールほどの農地には、収穫が始まっている青首大根や、冬の早春キャベツが、すくすくと育っていた。三浦半島の冬支度が、もう始まっている。
 直線道路を途中で曲がると、三戸海岸に出る。風光明媚でマリンスポーツも盛んなこの浜には、休日ともなると県外ナンバーの車も多く見られる。かつて飛行機が走った一直線の道路は今、日常とリゾートが共存する平和な道になっている。
海に向かって延びる道
冬の収穫に向け、これからが農作業の最盛期だ。
 場所
   (2004.11.25掲載) 
変わる場所、変わらない場所。 
神奈川新聞の連載が始まって、2回目に掲載したもの。
連載開始に当たって3本の原稿を送ったが、その中で一番インパクトがあるものが初回に選ばれた。飛行場跡は、2番目。この場所には、そんな扱いが似合う。だって、やたら長い道がただあるだけなんだから。

僕はこの場所が昔からなぜか好きで、西海岸に行くときは、ちょっと回り道をしてでも、必ず訪れる。
訪れたところで、何かのアクティビティーがあるわけでもなく、やっぱり、やたら長い道があるだけ。

観光地でも何でもないこの場所に惹かれるのは、ここには三浦半島の要素がおよそ詰まっているからなのかもしれない。

海、畑、道、海軍の飛行場だったという歴史、そして人々の暮らし。
それが、この場所のすべてだ。
海からの風が大地にふきつける道。これが残っているということは、三浦半島の奇跡とさえ思うのだ。
滑走路跡
滑走路跡の奥には
この場所は三浦市三戸だが、すぐ北側、今はソレイユの丘になっている辺りにも「長井飛行場跡」があった。上記の写真のすぐ隣には、別の滑走路跡がある。つまり、長井から三戸にかけてのエリアには、数本の滑走路があったことになる。
その中で唯一、きれいな状態で残っているのがここだ。

変わらない場所と言っても、考えてみたら、ここにいきなり滑走路が出来た当時は、実に衝撃的な出来事だったろう。
終戦直前のある日、突然のどかな農村に何本もの滑走路の建設が始まり、やがて飛行機が飛び始める。
そしてその飛行機は、本土決戦が叫ばれる中で練習を繰り返すが、あっという間に終戦。
結局、ほとんど役に立たなかった。

そしてここには、だだっ広い道が1本、残された。

カンカン照りの夏の日に、滑走路の奥まで自転車を走らせてみた。
久しぶりに訪れてみると、やっぱり、変わらぬ姿が広がっていた。多少、道はゴツゴツしていたが、今だ現役の道。ここを海軍の練習機が通っていたとは、もはや想像ができない。
戦時中、パイロットたちはどっちに向けて飛び立ち、どんな景色を見ながら降り立ったのだろう。

帰り道に振り返ると、海の向こうには富士山がきれいに見えた。
終戦直前のパイロットたちは、雄大な富士山の姿を見ていろいろなことを一瞬、思っただろう。
そして現代の僕も、この場所の歴史と、変わらない奇跡を思う。
きっと、はるか未来になっても、この場所にはこんな風景が広がっているのだろう。

遠くに夏の富士山が見えた 
 2011.10.1
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